ソ連・ロシアの指導者達(その2)

こんばんは。毎日暑くて汗ダクダクです…。(:_;)

今日は前回に続き旧ソビエトの指導者達の後編を書いていこうと思います。








前のフルシチョフを失脚させ権力の座に登りつめたのがこのレオニード・ブレジネフです。
なんていいますか、このブレジネフ、現場・現場での叩き上げでこの地位まで登りつめたのですからある意味大したものです。(^_^;)
そして、月日は流れ、1979年にはアフガニスタンの社会主義政府を擁護する名目で軍隊を派遣しこれから約10年にも及ぶアフガニスタン紛争が始まるのでした。

当然、アメリカや他の西側諸国は黙ってなく翌年のモスクワオリンピックにはボイコットをし、アメリカは反政府ゲリラに最新の武器等を援助してソ連軍の南下侵攻を阻止していました。





月日は流れ、1982年にブレジネフが亡くなりKGB(КГБ)議長であったこのユーリ・アンドロポフが政権の座に付きました。

元々、KGBに長く所属していた事で世界の情勢に長けており、ブレジネフ時代の政治にいち早く危機感を感じていたのがこのアンドロポフでした。






何とかこの政治情勢を変えようしていたアンドロポフでしたが、彼もわずか2年で病気で亡くなってしまい、変わり政権の座に就いたのがいわゆるブレジネフの腰巾着だったこのコンスタンチン・チェルネンコです。しかし、彼も一年もたたずに病気で亡くなってしまいました。

こうして老人3人の支配が終わり、新たなる若いリーダーが政権の座に就く事になります。





そうです、皆さんもご存知、ゴルビー事、ミハイル・ゴルバチョフです。 彼は徹底的に旧態政治を排していき、ペレストロイカ(政治改革)やグラスノスチ(情報公開)を行なっていき、88年には泥沼化していたアフガニスタンから軍を撤退させ開かれたソ連を世界に示しました。

しかしこの頃から東欧諸国で民主化運動が始まり、次々と社会主義政権が崩壊し、ソ連本国で保守派によるクーデターが発生します。
ゴルバチョフも別荘に軟禁されますが、改革派の人々・軍によってクーデターを鎮圧、保守派一派を逮捕して事件は解決しましたが、この事件をきっかけにゴルバチョフは退陣を余儀なくされ、1991年の終わり、70年以上続いたソビエト社会主義共和国連邦は崩壊し社会主義の歴史に終わりを告げました。

そして、翌年、ロシア連邦として新たな再建をしていきます。続きはまた次回に、それではまた。(^-^)/






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2008年08月04日 Posted by ヤスコフ中尉  at 20:22 │Comments(0)ヒストリー

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